Tuesday 4 May 2010

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのイーヴォ・ポゴレリッチ

キャリアの当初から鬼才とでも表現したくなるような個性的な演奏スタイルを貫き、アルヘリチをして天才と呼ばせるその音楽性は伊達ではない。今回も凡庸な演奏に終わることは決してないと予想していたが、終わってみれば、まさに鬼才の面目躍如たる演奏だった。




参考:ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン

参考:イーヴォ・ポゴレリッチ(招聘元サイトのプロフィール)

日本では2005より開催されているクラシック音楽のフェス、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。毎回テーマを掲げてそれに一連のコンサートを行うわけだが、今回のテーマはショパン。

前夜祭などの関連イベントを除いても、3日間で約300公演をとり行うわけで、ショパンのように作品数の少ない作曲家をとりあげるのは、それなりに冒険だなと思っていた。だがこんな杞憂をよそに、ショパンにまつわる作曲家たちを多数巻き込み、当時の演奏会やプログラムを再現するなど、アイディアに満ちた企画となっていた。アーティスティック・ディレクタのルネ・マルタン、なかなか切れ者だ。

数あるコンサートの中で僕が最も注目したのは、公演番号213、イーヴォ・ポゴレリッチによるショパンのピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21だった。

ピアノ協奏曲第1番に先んじて作曲された作品だが、なぜか2番が与えられている。夜想曲第20番にこの協奏曲の音楽素材が使われているため、聴き始めてしまうと、どことなく聴き覚えのあるような感覚が生じる人もいるかもしれない。特に2楽章が絶品で、非常に美し旋律に溢れたコンチェルトだ。

この曲を鬼才ポゴレリチがどう料理するのか、非常に楽しみにしていた。

演奏が始まってオーケストラによる音楽素材の提示が済んだ後、ピアノが入ってくのだが、泰然自若といった様子で、決然と演奏し始めた。とにかくテンポが異様に遅い。これに面食らったのは聴衆だけでなく、共演した指揮者&オーケストラもそうだったのではないか。

正直に言うと、僕はそんなに驚かなかった。というのも、かなり長い年月サンソン・フランソワによるショパンのコンチェルトを聴き込んでいたおかげで、一見奇抜な演奏には十分に免疫ができていた。

先入観は脇に置いてポゴレリチの演奏に耳をかたむけていると、彼の音楽的視点がどこにあるのか、徐々に明確になってきた。テンポ、音色、デュナミクなど、様々なコンテクストにおける「対比」と「間」を使って、聴き手の注意を奪い印象深く歌い込むこと、そこにすべてが集約されていた。

また、念のために触れておくと、単純に自分のピアノを浮き立たせるために彼はこのような表現を採用したのではない。局面においてピアノとオーケストラの主従が入れ替わるとき、彼は効果的に弱音を使い、オーケストラの音にピアノを融け込ませていた。これだけオケとピアノが一体化した表現を他では聴いたことがない。

ここまで理解できると、彼のテンポ設定が手段として妥当だということがわかった。常識的なテンポで滑らかに歌いきったのでは、ここまで聴衆の耳を釘付けにすることができない。一瞬たりとも聴衆の注意を逸らすまい、という気迫を表現するために敢えてこのようなテンポを選択したのだと思う。

これは、彼がこの演奏を通じて表現したかった根源的欲求を浮き彫りにする。単に聴衆の耳を楽しませるのではなく、芸術が持つリアルな生命感を突きつけたかったのではないか。あらゆる芸術が内在する根源的な表現欲求は、時に獰猛な意思としてあらわれ、見る者、聴く者に、その激しい希求との対峙を迫る。

要するに、彼は命を賭けた真剣勝負として音楽を提示したのだ。

これは、現代の洒落た音楽家の演奏マナーからは外れているかもれない。音楽家はエンタテイナーとしての側面を持つわけで、音楽を音楽の枠内に留めて安心していたい人にとって、ポゴレリチの態度は非常識そのものだろう。実際、音楽家であってもそのような獰猛な表現を嫌う者もいる。

しかし、音楽を芸術として捉え聴衆に対峙する芸術家がいてもいいのではないか。

冒頭でそんなことに思い至り、僕自身は彼の挑戦を真っ向から受けて立つつもりで、最後の一音まで集中して耳を傾けた。結果、深い満足感を得た。

今時、こんなに真剣な音楽を奏でる音楽家が他にいるだろうか。彼以外で僕が思い浮べられるのは、キース・ジャレットだけだ。